2021夏アニメ雑感 ~『かげきしょうじょ!!』がずっっと面白い~
今期のアニメも折り返し地点を超えております。
再放送含め視聴中のアニメを大雑把に整理してみました。
☆アイドル・演劇枠
『かげきしょうじょ!!』
『ラブライブ!スーパースター!!』
※どうでもいいんだけど、『ラブライブ!スーパースター!!』のエクスクラメーションマークって最初は全角で後ろは半角なんですね。エディターがキレそう。
☆SFドラマ枠
『SSSS.DYNAZENON』
『Sonny Boy』
☆その他
『オッドタクシー』
再放送でやっているのもあるんですけどいま見ているのでカウントしております。
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『かげきしょうじょ!!』
今期で一番好きなのが『かげきしょうじょ!!』
もう毎回「は???おもしろすぎるんだが????」とブツブツ呟きながら視聴している
以下、感覚的な話になってしまい申し訳ないんだけども
かげきしょうじょの面白さは「一歩踏み込んだキャラクター描写」にあると思う。
創作のとき、キャラクターAさんとキャラクターBさんを作りこんで、そのあとAさんとBさんをぶつけて関係性を探るみたいなフェイズがある。
このときにどこまで探れるか、深められるかが勝負であると思うんだけども面白い作品はこの掘り方が素晴らしい。
これが際立っていたのが第五幕「選ばれし乙女」
かげきしょうじょは中盤から各話1人ずつメインを決めてその深堀りをする、いわゆる「担当回」方式で物語を進行している。
第5幕は「山田彩子」回であった。
山田彩子|登場人物|TVアニメ「かげきしょうじょ!!」公式サイト
この子、自己肯定感の低い&成績も落ちこぼれという典型的な描かれ方をここまでされてきた。強烈なキャラクターの主人公二人にスポットライトは当たるので、ここまでほとんど見せ場(というかセリフも)なかったので、凡庸な作品であったら、この子を生かしきれないまま終わっても不思議ではなかった。
たとえ生かされても、引き立て役や偽善の役に抑え込まれるんだろうなと無意識で思っていた。
だがこの5幕たった1話(正確には15分ちょっと)で彼女が大化けする様子を描き切っていた。
詳しくは本編を見てほしいが、その鮮やかさや過不足のなさに本当に驚いた。
特にすごいのが「彼女自身の成長」を描くために、「彼女を見守る人間の成長」という形式で表現したということなんじゃないかと思う。
この鮮やかさをぜひ見てほしいのでよろしくお願いします(?)
また(ファンタジー)学園ドラマの王道を行っているのも最高。
例えば『ハリーポッター』シリーズのように、一人ひとりのキャラクターも魅力的だけどもやっぱり「関係」に面白さを詰めることで物語の奥行きが累乗のように増大していくと思う。*1
自分が学園モノ作品が好きなのも
・学校という限定されたコミュニティが必ず設置されて主人公を設定しても群像劇的なドラマになりがち。
・(実際に全員が目指すかどうかは置いておいて)「全員が目指すべき目標」が設定されて「物語世界」の大きな流れがあること。
・その大きな流れに乗るかどうかという小さな流れが形成されてうねりが発生すること
このあたりを面白く感じることができるからだと思っている。
そして『かげきしょうじょ!!』は学園モノの面白要素であるこれらを満たしたうえでキャラクターの関係を描くことに注力している最強映像作品になっております。
以下簡単に感想をば
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『ラブライブ!スーパースター!!』
唐可可ちゃんが可愛い。
チャイナ娘はキャラクターが一面的になりがちだけど、彼女はそれは一要素にすぎず、魅力あるキャラクターになっているのが良いよね。
銀魂の神楽を思い出した。
インターネットで彼女の党員証がつくられていたり、作品を知らない人にとってこの作品の入口/取っ掛かりになっている重要な子ですね。
矢澤にこ、渡辺曜などこの立場のキャラクターの今後の展開で一般認知度が変わってくるので要注目。
スクールアイドルは都会的なもの
スクールアイドルは女性的なもの
このあたりもアニメ内で回答がありそうなので期待
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『SSSS.DYNAZENON』
ドラマパートが物凄く面白いのにバトルパートは「あれ?」と思うところもある不思議なアニメ。ただ中盤に入ってバトルもよくなってきた。
とにかくキャラクターがエロい。男女、敵味方問わず全員色気がある。
このエロさは作画というよりも芝居だと思うので勉強になる。
あと主人公のバイトがスーパーなのに、裏倉庫のしかも一か所のみで表現しているところにこだわりを感じてよい。
あと川や水を重要視していて絵になるよね。タルコフスキーとか好きなのかな。
そして編集やカットつなぎのテンポ感がキレキレですごい。なかなかあそこまで思い切った分かりにくい(けどかっこいい)つなぎはできない。
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『Sonny Boy』
SFいいっすね。
所々理屈っぽいところ、というより説教臭さやメッセージ性が鼻につくけども映像の見せ方は見ていて面白い。
第4話『偉大なるモンキー・ベースボール』あたりからキレキレになってきた。
この回の長セリフは単に長いだけでなく、きちんと唄っていたので全然不快にならず、お話をより面白くしていたので素敵です。
第7話『ロード・ブック』はカイジの地下世界みがあってよかったです。
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『オッドタクシー』
ずっと「突然誰か死ぬんじゃないか」という緊張感がきちんと張られてて面白いけど疲れる。けど面白い。
数少ない女性キャラクターのボイスが三森すずこさんと飯田里穂さんというところもうれしいポイント。
ただYoutubeの動画をそのまま垂れ流すのはキツイのでなにか意図はあるんだろうけど
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以上です。。
最後の方は力尽きたけれど、またちょくちょく書いていこうkと。
*1:余談だけども、自分が大学進学のとき。「国際関係学」がなんかいいなと思ってそこばっか受けたけど、このときも「国際」よりも「関係」に惹かれていた面があるなとこの文章を書きながら気が付いた。もちろん「国際」ってのも良いなとは思っていたけども。なので「国際関係」学部に対する世間の認識が「国際」の方に寄ってしまっているということに入学後に気が付いて、面倒な気持ちになることが多かった。実際の入学者もそういう人が多いから…以下略
ストレスで鼻水が止まらなくなる話
「鼻水が止まらない日」というのがある。
大学に入ったころくらいから、たまにそういう日がやってきた。
朝起きて1回目の鼻をかむ段階で3.4枚のティッシュを消費しながら
「またこの日か…」と覚悟する。
粘度低めの鼻水を穴から垂れ流しながら原付に乗って大学へ。
後ろのドアからささっと忍び込み、適当な椅子に座る。
その時点でゴソゴソうるさいが、すかさずチーンと鼻をかみだす男。。
鼻をかんだティッシュをリュックのポケットに押し込みまくる男。
「鼻水が止まらない日」*1はたいてい忙しかったり不規則な生活だったり体力低下していたりするときが多い。
がその状態では認知力が低下しているので、忙しかったり不規則な生活を送っていることにまで頭が回らない。
だから「鼻水が止まらない日」は理由が分からず、鼻水が収まりだす=休憩をとれたときにようやく「あぁ自分が疲れてたんだな」とわかる。
先日も「鼻水が止まらない日」があった。
提出の〆切があってそれからもバイトや引っ越しの手続きやその他用事で埋め尽くされて「無」を10日間くらいしなかった。でそいつがやってきた。
前述したが、そのときは認知が低下しているので「あぁ、なんか今日鼻水が出るな。止まらないな」とぼーっと思うのだが、たいていその量が異常なのでまわりから指摘が入って、「これ異常なんだ」と気づく。
この指摘も以前は「え、風邪ひいたの?」程度で済んでいたが、
いまは風邪の症状があるとすごい目で見られる&バイトがドラッグストアであるので、店長からはなんとも言えない顔と若干の距離を取られてしまった。
「え、風邪ひいたの?」という質問に「風邪ではなくて、たまにこういう日があるんですよ」と正直に答えるとたいてい判然としない顔をされるので「なんか花粉でも飛んでるのかなぁ」と誤魔化すことにしている。いま8月だけど。
ストレスがたまって自律神経がぶっ壊れ始めると自分は
「鼻水が止まらなくなる」「蕁麻疹が出る」「痒くなってくる」が身体症状で出て
「同じことをずっと考える」「悪い方向に考えて落ち込む」みたいな思考状態に陥る。
食べて寝れば治るのでそのときに考えたこと/感じたことにあまり振り回されずにしてぇ!!!!とおもいました。はい。
鼻水はアレジオン飲めば一発で止まるので、たいしたことはないけどもすぐパッとかけることがこれしかないのでざーーっと読み返しもせずに書きました。
おしまい。
*1:さっき調べたら「血管運動性鼻炎」といって自律神経の不調やストレスからくるものっぽい
2021年夏アニメ感想 ~『かげきしょうじょ』など~
今期追っているのは、
『ラブライブ!スーパースター!』
『サニーボーイ』
『かげきしょうじょ』
再放送で見ているのが
『オッドタクシー』
『SSSS.DYNAZENON』
観たいのが*1
『ゴジラSP』
といった感じ。
そのなかでも『かげきしょうじょ』がすごく良い
エンディング曲が素敵。
レヴュースタァライトとはまた違ったアプローチで「演劇」を扱っていてこちらもまた良い。『ひなろじ』だったり、学園物が好きな自分には刺さる要素が多い。
『かげきしょうじょ』見ている中で
人を好きでいること、好きになることをもっと汚く撮りたいなと思った。
序盤の4話までで
元アイドルの奈良田あい
彼女のファン(通称キモオタくん)の関係が描かれる
これ自体は渡辺さらさの暗躍もあってなかなか面白いし、グッと入っていける。
ただファンを描く際に多いのが、
純粋な「きれいな」オタク or 下心をもった「汚い」オタク
のどちらかに単純化されてしまいがちなことがある。
これは都合が良すぎて生きている感が薄れてしまうので、
もっと人間臭い人物にしたい。
つまり、
「推しへの愛の感情」を合理化・社会化せずに表現されたものを見たい。
『推し武道』も近いところまでは到達していた気がするけど、もっとガッツリ見たいんだよな…。アニメになるとキャラクターの外見もデフォルメされて均一化しまうから、やはりこれは実写でないと難しいのか?
とはいえ単に号泣させるとか血みどろにするとか下品なものにはしたくないし…
どうしたもんかなぁ…濱口竜介とかがやってんのかなぁ……。
『1秒先の彼女』感想 ※ネタバレなし
最近、
お話を考えるときに、自分は恋愛要素を入れないということに気が付いた。
入れたくないならそれでもいいかなと思ったんだけども、
恋愛は人間関係の形態として有り触れている(はずだ)し、
ドラマにもなりやすいので自分としては取り入れたい。
でも自分が恋愛に興味がないのか、恋愛関係のはなしを考えられない。
ということで興味のある恋愛ってなんだろうと考え、
SF要素のある恋愛映画を見てきました。
〈公式サイト〉
公式の宣伝文から引用しつつ要約すると、
「人よりワンテンポ早い彼女とワンテンポ遅い彼。
二人の間のちょっとの時差〈タイムラグ〉から生まれる」ラブストーリー
です。
映画としては「かわいいあの子のようにならなくても、わたし(観客自身)のことを想う彼がいるはず。だから自分を信じて待とうね」って感じのプリンセス映画です。
〇用いる要素のセンスの良さ
郵便局…手紙やモノのやり取りが行われる場、つまり贈与関係の現場、最前線。
コミュニケーションが生まれる場なのでそりゃ面白い。
あと窓口というのも良い。後述するバスもそうだけど、視覚的に明らかな境界線があるモチーフは映像に向いている。
※会話やクレームがやけにリアルだったし経験者がいるのかも
バス…乗り物のなかでも最近の映画ではよく使われる印象。車より大きく、電車より自由に移動できる、かつ日常に密接してるから使われるのかな。『恋のクレイジーロード』のバス(というよりあれは『悪魔のいけにえ』のバンのオマージュだけど)でも一度乗ったら降りられない、主人公たちの冒険の比喩として使われてた。
乗客たるわれわれは安全が保障された領域
外界は未知が広がる世界
この二つは完全に隔絶されていて物理的に影響は及ばない
けど窓があるので見ることができる。
そういう意味では『ミスト』とか『ダーティハリー』のように終盤の絶望感を煽る舞台装置としてはぴったりね。
あとタイムマシンっぽさもあるよね、バスって。
ラジオ…主人公のイマジナリーフレンドとしてよく使われる印象。子供なら人形とか妖精とかだけど、大人だし、ラジオみたいな社会的なものの方がなじむのかも。
自問自答をそのままやると面白くなりにくいしなぁ。
〇肝心のワンテンポズレの要素の消化不良感
正直無くても良かったんじゃないかって後半になると思ってきます。
なぜなら、全然別のSF的展開に突入するから。
これがあんま良くない。
制作陣の無神経さ?が浮き出てしまっていて、「人間の無自覚の悪意」から生まれる演出を「無自覚で」やってしまっている節がある。
〇結論
要素としては悪くないけれど、SF恋愛映画ではない。
『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』感想 ※微ネタバレあり
〈公式サイト〉
【はじめに】
世界のキヨシ(黒沢清)が
「映画が嫉妬する唯一のものは音楽。
映画はそれ以外のなにものにも、現実にすらも嫉妬していない。」*1
と言ったそうです。
最強映画を撮る神は発言も最強だな……。
かっこいい…。
さてスタァライトを見てきました。
もうめっちゃおもしろかった~~~
浴びた~~~
ので感想書きました。*2
が思ったより本編の話をしていないので未見でも大丈夫かも。
(以下微ネタバレあり)
〇映画っぽさ
うわぁ映画を見たな、と思うときがある。
映画的な映画。
明らかに今回は映画だった。
ショット、イメージ、まなざしが連続することで意味性を獲得する作品。
例えば
ゴダール『気狂いピエロ』『勝手にしやがれ』など
ヒッチコック『めまい』『鳥』など
黒澤清『旅の終わり世界の始まり』など
他には
古川監督が影響力を自他ともに認める
鈴木清順や幾原邦彦も明らかにその力を持っている。
※余談だけど清順が『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』の監督だったの初めて知った。かつ幻の押井守版ルパン三世のあらすじがおもしろすぎたので載せておく。
元の話題に戻ると、
映画文法を獲得した彼らの作品は
イメージコントロールが抜群に上手いと思う
何を素材として持ってきて、それをどう組み合わせるか
映画を物語る手段として捉えるならば、
言葉で説明できないものを映像(イメージ)で伝えることができるかどうかが鑑賞時の気持ちよさ(快楽)に直結していそう。
……ここまで作品名の列挙&ふわっとしたことしか言えてないからさっさと次へ。
〇「ワイドスクリーンバロック」の音楽
「ワイドスクリーンバロック」*3の定義は上記の作家・草野原々によるブログに詳細あるので省きますが、「アイデアがすごくたくさん出てくるSF」だと思えばよいみたい。
実際に映画内でもトマト、電車、十字架、デコトラ『トラック野郎』シリーズまでたくさんのアイデアがモチーフ(具体)として出てくる。
映画は小説のように観念を伝えることには向いていないから、
それをしたいなら具体(モチーフ)を効果的に使うしかない
画面上に文字をバンと出すやり方もあるけど、映像的ではないから避けられがち。
で思い出したのがQueenのライブ映像
「ボヘミアンラプソディー」もそうだけど、Queen的世界観ってワイドスクリーンバロック的だと思う
あらゆる音楽ジャンルを越境していくスタイル
ライブでもそれを具現化しているので、
レーザー光線使いまくりだわ、フレディ脱ぎまくり、楽器もクラシックピアノにエレキに銅鑼まで
となんでもあり世界観なので見ていて元気になる
ここからはキャラクターのはなし
〇音声(1)名乗る舞台少女たち
とにかく舞台少女たちは名乗りが印象的
それは草野原々ブログにもあるように、ワイドスクリーンバロックに影響を受けた中島かずきが関わる作品の「天元突破グレンラガン」や「キルラキル」にも共通する。
だけど自分はあの名乗りを聞いて寅さんの口上を思い出した。
※書き起こしテキスト出典
フーテンの寅さんによる、自己紹介である。
寅さんはいわゆるやくざ者であるが、それに近い話が公式パンフレット内の、監督、脚本、劇中歌作詞の3人による鼎談インタビュー*4にて展開されていた。以下一部を引用すると、
===================
古川和宏(監督)
デカい声で強い言葉を発したやつが相手を納得させているので、(筆者注:今作は)ヤンキー漫画と構造が同じ。つまり「キャラクター」、「演者」が中心にいる作品。限られた時間のなかで、感情が圧縮されて異常なスピード感が生まれるというところにも類似性があります。
===================
中村彼方(劇中歌作詞)
レコーディング時にも「ヤンキーものです」とディレクションしました
===================
寅さん、そして舞台少女たち
ヤンキー的なおじさん、演じる少女たち
自分の名前(存在)、自分の真の感情を放出するときに彼らの声は明らかに唄っていた
〇音声(2)唄う舞台少女たち
レヴューの間、舞台少女たちはずっと唄っている
学校での日常や回想シーンでは唄っていない
これは映画を見た人ならばその違いを感じられる。
ただこの違い、差って明らかではあるけれど直感的に感じるもので言葉で説明しづらい。そこで下記の本の記述を思い出した。
この本では、寅さんや増村保造監督『曽根崎心中』の梶芽衣子を例に以下の結論を出している。
言葉が繰り返されること・反復によって、形式(あるかたち、ここでは音楽)を獲得する。もとは単なる音の連なりが、形式を獲得することによってリアルな存在になり、リアリティを持って人の心を動かしてしまう。*5
例を出すならば、『曽根崎心中』における梶芽衣子の「うれしい、楽しい、だけど悲しい」という台詞が分かりやすいかもしれない。
〇舞台少女たちの心の変化
ここまで外面的なものを語ってきたけれど、内面的な変化も印象的だった。
映画内の彼女たちの進化過程は、
わたしがしたいことを問う
わたしがしたことをを認める
わたしがしたいことを伝える
これに凝縮されるかと思う。
その中でTVシリーズの脚本、劇場版の劇中歌作詞担当である中村彼方のインタビュー記事(2019年10月公開)を引用したい
=================
インタビュアー
(筆者注:中村彼方さんは)インプットが多いからこそ、振れ幅があるもの、
自分とは違う角度からの歌詞が書けるのでしょうか。
中村彼方
そう思いたいけれど、結局自分の芯は変えようと思っても変えられないし、
むしろブラさずにやってるつもりです。
「全ての人に才能はある」「夢は絶対に叶う」っていう信念が私の中にあって、
私が書く歌詞に出てくる登場人物はその思いを持っている人ばかりです。
=================
この映画に通底する明るさ、熱量はここか…!
さらにパンフレット内の「鼎談インタビュー」でも
=================
樋口達人(脚本):
(前略)「レヴュースタァライト」って実は物語がないんですよ。
物語自体ではなくて、キャラクターの感情で前進していく話なんですね。
その起爆点としてレヴューがあって、(後略)
=================
感情…!!!
なるほど……
〇その他
服装がかわいい。好き。
自分は無印系の服があまり好きでなく
派手目な衣装が好きなのでとても嬉しい。
あれだけ細かい装飾のある服をグリングリン動かしているのに
作画が崩れていないというのは素晴らしい
〇おわりに
途中から疲れてモノが考えられなくなった上に、引用とかも厳密では無いので
その点心残りだけども、完璧目指してたら終わらないのでこんなもんにします。
ただ「舞台少女たちにとって母とは?父とは?」っていう疑問があって、これは重要だと考えているのでいつか続きを書きます。
まずはTVシリーズ見るかぁ。
少女☆歌劇 レヴュースタァライト 第一話「舞台少女」
『100日間生きたワニ』感想 ※ネタバレあり
見なきゃ何も語れないと思い、見に行ってきました。*1
見る前は
・「右上に残りあと○○日」って『逃走中』みたいにカウントされるのかな……
・ギャグ4コマ漫画として始まったわけだし、コメディやるのかな……
・上田監督がアニメ演出できるのか?
などいろいろ考えてました。
以下ネタバレ全開で感想、考察、批評のごっちゃになった文章になります。
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●映画の構成と下記文章について
「原作の総集編」と「映画オリジナル展開」の二部構成になっている本作。
よって感想も原作パート(総集編)と新規パート(オリジナル編)に分けてそれぞれの問題点や論点を考えてみる。
ちなみに未見の人向けに映画の流れを軽く説明すると、
冒頭にワニが死ぬ。その後100日前に戻って死ぬまでの日常を描き、再び100日目を迎える。そして100日目以後に関して原作にはないオリジナルの話が追加されている。
といった構成です。
また原作パートは長くなってしまったので、映画制作時の担当部ごとに分けてみました。
●原作パートについて
①制作
・尺が異常に長い
40分くらいかけてじっくり展開するので見てらんない。
腕時計を見ながら「まだ5分しか経ってないのか…」と10回くらい思った。
この映画見に来る人はほとんど内容知ってると思うので苦行に近い。
シンエヴァ制作陣にかかれば10秒で終わりそう。
・予算の無さ
作画に関してものすごく予算不足を感じる。
音楽自体も悪くないけど、セリフとの音響バランスが狂っている気がする。
物語のパワー不足を補うために、過剰にエモーションを引き立たせようとしているのかしらないけども、何度も「うるせぇな」って思った。
あまりに鑑賞体験としてしんどいので『時計仕掛けのオレンジ』のあのシーンを思い出した。
②演出
・会話やリアクションでの無意味な間
一つ一つの会話やリアクションに間をとって、いかにもその間になにか意味がありますよと言いたげな演出方法がある。
日常は間で溢れている。だから映画でもその間を忠実に再現することで「日常っぽさ」が再現可能のではないかという試みである。
映画でいうとジム・ジャームッシュが代表例になるんじゃないか。*2
自分はあの演出が好きじゃない。
かったるいし見ている人をバカにしてるとしか思えない。
時間の無駄でしかないと思う。
とはいえこの手法でしか表現しえないものがあるそれが好きな人も多いのかもしれない。(自分はそうして表現されたものにあまり価値は感じないけども。)
ただし今作は、手法は踏襲していても肝心の表現がなにもできていない。
「なにか言いたげな様子」だけひたすら反復されるのでイライラが止まらない。
いわゆる「日常の雰囲気」を再現することにのみ終始している。
本来、間というものは前後の事実や中身(アクション)があって、そのリアクションとしてのものであって、最初からリアクションを意図するのは嘘になると思う。
別に人は間をとることだけがリアクションではないのにそれに固執すると単にリアクションを考えるのが面倒だから黙らせとけという思考放棄の結果になってしまう。
↑これは映画学校で聞いたジャームッシュ(およびそのフォロワーたち)に対する批判の受け売りなんだけど、自分はこれにほぼ同意する。
「日常系」というアニメジャンルを代表する『けいおん』などは女子高の軽音部という日常*3を舞台にしているが、会話では間を不必要に取るといったことはしていない。あくまでアクションを起こしてそのリアクションを徹底的に研究して様々な可能性を見せてくれる。
何より奥行、立体感がある。キャラクターが生き生きとしているのだ。作劇に成功している。だからあれだけ熱狂的なファンを生んだんじゃないだろうか。
つまり『100ワニ』の問題点は「日常」を題材にしているという点にはない。
その不自然なまでの間によってエモーションが冷める。もはや不気味の谷に接近している。
・声優へのディレクションの拙さ
あまりに酷すぎる。これでは役者が可哀そうだ。
神木隆之介、中村倫也、木村昴、新木優子、山田祐貴
別にとりわけ下手なはずはない。どの人も代表作を抱えた一流の俳優・声優だと思う。
ただ前後関係を考えたときにそんなニュアンスにはならないんじゃないか、もっとここは感情が入るんじゃないかなど、
アプローチの点で物凄く違和感があって、下手に聞こえてしまう。
とにかく絵と声が合っていない。
音響監督などディレクションする人が作品の意図をくみ取れ切れず、かつ役者たちにも適切な指示が遅れなかったのではないか。
制作がギリギリでアフレコ時に絵が間に合ってなかったとしたら再レコするべき。
これでOKを出したのはちょっと有り得ない。
③撮影
・アニメーションの躍動感の無さ
日常芝居とか静止が多く、紙芝居みたい。深夜テレビアニメの方が作画がよい。
バイクや馬のアクションもパワポのアニメーションの方が躍動感あるんじゃないか。
さらに画面から得られる情報量は少ないし、間延びも酷い。
『ドラゴンボール』フリーザ編のように同じ絵を再利用する箇所も何か所か見られた。
それらも効果的とはほど遠い。絵コンテきった人は本当にこれでよいと思ってたんだろうか…
アニメ的快楽、動きの面白さを感じるシーンが皆無で退屈だった。
・ズーム多用というチープさ
ズームは印象的、効果的な撮影方法*4だけど、これは多用するとチープになる。
いわゆる子供の運動会の記録映像みたいになる。
ズームを多用する映画なんて見てらんない。ただし『100ワニ』では多用する。
これはすごいこと。だって「ズームの多用はするな」ってたぶんそのへんの映像系の学生でも知ってるくらい基本的なことだから、なにか意図があるんだろうけど、全く分からん。だれか教えてください。
・背景美術の世界観に一貫性が無い
新海誠の作品で別のシーンで突然サザエさん作画の背景に変わったら違和感がすごいと思う。
でも『100ワニ』ではそれをやってくる。
なぜか主人公の働く喫茶店の外観だけ作画が異常に良い。
他は水彩っぽいタッチなのに、突然写実的になるので脳が混乱する。
どうして……????
④脚本
・リアリティの無い、主人公にとって都合の良い仲間たち
映画では敵体者は非常に重要な存在になる。というかこれが無いと物語たりえないと言っても過言ではないと思う。
主人公が追い込まれる(=ピンチを迎える)ことで主人公は予期せぬ行動をとって新たな展開を迎える。成長もする。
現実でも周囲の人間は自分にとって都合の良い人ばかりではない。*5
彼らは生きている。
『100ワニ』映画の登場人物は主人公に対して都合の悪いことは一切しない。
意地悪なやつはいないし、ムカつく出来事もない。
主人公が追い込まれることも、困ることも無い。
そうなると成長も葛藤も無い。
つまり面白くない。*6
・日常会話とセリフ
とにかく会話が映画らしくない。フィクションたりえていない。
初心者がやってしまいがちだけど、日常会話をそのまま文字起こししたらフィクションになるわけじゃない。
物語のセリフには必ず情報が含まれている必要がある。日常会話では情報量のコントロールなんて考えていないが創作物ではそれは許されない。*7
特に映画は時間に縛られるメディアであり、基本的に巻き戻しはできない。無意味な会話や、視聴者が物語を即座に理解するためのノイズ・邪魔にしかならない。
その点でセリフの完全な原作再現は手段として最悪だ。
あれは余裕があるからできる芸当であり、映画なら全部カットされる。
原作の良い意味での余裕、隙間を再現するためには、それを再現するためのより適した「物語用のセリフ」に書き換える必要があるんじゃないか。
『紙兎〇ペ』を見てらんないなと感じるのもこの点にあるのではないかと常々思っている。
・各エピソードの意味性の単純さ
映画は一つのシーン、カット、会話に複数の情報が含まれて、複数の意味性が現れることで、面白さを獲得している。と言われている。*8
ただこの映画の各エピソードが示す情報や意味性は非常に少ない。
いわゆるスッカスカの状態。
だからエピソードの途中から予期可能でしかなく、快楽を感じられない。
予想外が何一つおきないし、現実的(リアリティ)が無い。
・各エピソードの連動の無さ
たとえ意味性が単純なシーンであっても映画は連続性のあるメディアなので、各シーンが連動することで別の新たな意味が付与されて、面白さを獲得することがある。
これが分断されていると、単に脈絡のない個々のエピソードを見せられたときと同じようにつまらなく感じる。
だから『100ワニ』は面白くない。
もちろん時間的なつながりはあるんだけど、物語の意味としてどのシーンも単調で予期できるものでしかないし、それらがつながったところで伏線として生きることもない。
一定の時間方向に進むだけで、監視カメラと何ら変わらない。
編集やの面白さが無い。
・唐突に死ぬことのつまらなさ(サプライズとサスペンス)
サスペンス映画の神、ヒッチコックが「サスペンスとサプライズの違い」について「テーブルの下の爆弾」を例に出して説明する有名な話がある。
もちろん今回は最初に死んだシーンを挿入しているのでサプライズではない。
ただサスペンスになっているかというとそれでもない。緊張感の欠片も無い。
そもそも間延びしまくっており、死ぬことの怖さ、恐ろしさ、虚しさや惜しさといったエモーションが一切感じられない。
・選択したエピソードが恋愛中心であること。
『100ワニ』は日常を舞台にしているが、映画ではとにかく恋愛エピソードが中心に語られる。
恋愛のために生きているとしか思えず、キャラクター形成がとにかく幼い。
中学生じゃないんだから、もっとやることあるだろ……。
・希薄な親子関係
電話でのみつながる母と息子。
親子関係には介入しようとはせず、ただ妻(ワニ母)のそばにいる存在の父
彼らの心情は特に語られない。意味も見いだせない、
無意味なものは物語世界にとってはノイズ、不要なものでしかない。
それに関係性などから意味性を持たせる必要があるはずなのに、単に記号的存在として、つまり主人公には父と母がいるということの説明のためだけに、あれだけの尺を取るのはセンスが無いとしか言えない。
ばっさりカットして、仕送りの段ボールを写すだけで十分だったんじゃ。
●新規パート
・フィクション世界でのifにこだわっている
自分なら現実の100ワニを取り巻く環境とか顛末を混ぜてしまいたい衝動にかられると思うけども、制作陣はあくまで物語世界でのifにこだわって新しい物語を創作している。商業作品、つまり商品としては正しい。物語精神に真摯であるとも言える。
ただ面白くはなってない。
というか原作にあった現実世界との接続、つまりTwiiter、デバイス上で友人たちと共有しながら楽しむというところまでこの作品に関しては作品に含まれるのではないか。*9
今回はそこに触れて、メタ的展開を混ぜるのもアリだったような気がする。個人的好みではあるけど。
・「不在の在」を描く試み
カメラには映らない「不在の人物」が物語の中心的役割を果たす。これは技巧的で高度なテクニックになるかと思う。*10
成功すれば、「不在の人物」は登場するよりもインパクトがある。
観客が勝手に想像して実際より大げさに考えるからだ。
ただ失敗するとこれはなんかよく分からなくなり、『スターウォーズ』の霊体よろしくキャラクターを霊としてでも出現させた方が面白くなる。
今回もワニくんの顔を青空に浮かべたらスピリチュアル映画として天下取れた気がするな。
・「コミュニティ内で人は替えがきく存在なのか」という問い
これは問いとしてけっこう面白かった。というかこの映画で唯一良いところはあのカエルくんの存在だろう。死んだキャラクター(ワニ)の居場所に嫌な性格の新参者(カエル)が収まる。
一人の人間をハブにしてコミュニティが形成され、その人物がいなくなってコミュニティが解体される。*11さらに「新参者が代わりを果たすことでコミュニティが新しい形で復活する」という点までを描き切るのはなかなか面白かった。『すばらしき世界』や『男はつらいよ』シリーズでも描かれる古典的な方法ではあるけどもこの映画唯一の見どころと言える。
・嫌われ者で空気の読めないキャラクターだけが主人公になりえる
カエルには意思がある。現状を変えるために周囲に働きかけるし抗おうともする。魅力あるキャラクターになっている。*12
映画のなかで主人公は戦う。葛藤や問題が主人公のもとに降ってきてそれをはねのけるために望む/望まないに関わらず、主人公は戦い傷つく。
映画が終わるころには冒頭には想像しえなかった地点に到達して、新しい考え、仲間、価値観、状態を得ているもの。その変化を観客は楽しんでいると言える。
そうなると必然的に、物語冒頭の主人公は、終盤の主人公自身を仮に見たとしてちょっと嫌いなはずじゃないだろうか。
そのような変化があるのはカエルくんしかいない。あの短い尺のなかで彼は明らかに変化して成長している。魅力あるキャラクターなりえている。
・天候で心情を表現するチープさ
天気はコントロールできない。映画は現実世界で撮影するので良い日差しになるまで撮影しないなんてこともよく見る光景。
ただアニメ世界は天気もコントロール可能である。
なので心情表現として容易く使われることがある。
これは思考停止でしか無いので自分は好きじゃない。
死んでからずっと雨。でキャラクターたちの心が晴れたら(=喪が明けたら)晴れ。朝日が昇るシーンで友情を再確認して物語を終わらせる。
こんなチープなことをこれだけ物語にあふれ技法も発達した2021年にやって許されるんだろうか。
・いわゆる「自主映画っぽさ」
ここまで書いてきた問題点は実は自主映画にはあるあるのものばかりである。
スクリプトドクターの脚本教室 初級篇の通販/三宅 隆太 - 小説:honto本の通販ストアに登場する概念なんだけども「窓辺系映画」というものがある。
つまり、主人公が内向的で行動を起こさず、代わりに独りで窓辺に立って物思いに耽ったり思い悩むことに終始する、そんな映画だ。
過去にその範疇に入りそうな映画を撮ったことのある身としては耳が痛い話なんだけども、100ワニは「窓辺系」映画の範疇から出ていない、というかまんまやっている。
以下は推測だけど、Twitterってそういう窓際系の物語が溢れていて、そこに共感するユーザーが集まっているから100ワニはこれだけ話題になったんだといえる。
つまり100ワニ世界にはもともとそういう匂い、属性が入っていた。
これは(アニメーション)映画には致命的な弱点になりうる。
まずアクションが起きないからつまらない。
そして間で見せるのは再現すると間延びしている
あげく問題は一切解決しない。
そしてこれらの弱点を最後まで振り切れていないからこそキャラクターは浅く、物語も取ってつけたようにしかなる。
つまり元から「物語的強度」が高くない作品が、純粋な物語を語るメディアである映画になったことで、こんな作品になってしまったような気がしている。
・タイトル改編の意味
漫画のタイトルは「100日後に死ぬワニ」だったが映画では「100日間生きたワニ」となっている。
この変化は以下の二点の変更をもたらしているように考えられる。
①100日という「特定の時間」の前後の時間の有無
②どの時間軸から物語(100日間)を眺めているのかが変わっている。
つまり、
【漫画版「100日後に死ぬワニ」が表す世界】
100+N日目→…→☆100日目→99日目→…→…→1→当日→無
※物語は過去(死ぬ100日前)から未来(死ぬ当日)に向けている。
【映画版「100日間生きたワニ」が表す世界】
無→100日目→99日目→…→…1→当日→☆現在
※物語は未来(死ぬ当日以降)から過去(100日間のみ)に向けている。
漫画タイトルの表すところでは、100日以前が存在し得る可能性もあり、それが物語・キャラクターの過去という文脈を暗示しており、深みが出せていたともいえる。*14
だが映画版ではワニ登場以前の時間軸が一切描かれていない。唐突に物語は始まる。*15
後日談をやる上ではタイトル改編は必須だったともいえそう。
●まとめ
総集編パートは正直画面を直視できなかった。
ただ新規パートは批評性があるというかそれなりに問いをぶちこんでいたので語りやすい。
劇場内も前半は「ひどいな、これは…」という雰囲気だったのが、後半は相対的かもしれんがみんな真剣に見ていたようには思える。
とはいえ新規パートで提示された問いや設定に対して、この作品なりの回答(新規性)を出せているかというとけっこう疑問ではある。
作品としては甘いというかもう一歩踏み込めるんじゃないかと思えた。
別のスクリーンで『かくしごと』の舞台挨拶やってたみたいだしどうせならそっち見に行けばよかったな…
*1:上映時間ギリギリ間に合わずといういつものムーブをかました。
*2:『コーヒー&シガレッツ』と『デット・ドント・ダイ』しか見たことなく、代表作と言われる『パターソン』も『ストパラ』も見たことないので、自分には彼の良さを語る資格は無いです
*5:アルコールが入ると自慢話してくる先輩、セクハラしている上司、愚痴ばかり言う母親、就職して変わってしまった彼、肝心な時に逃げる父親。これらはリアルな人間であり、物語でいうとキャラクターになる。
*6:ただし原作はTwitterに投稿されていた。Twitterがつくりだす空間のなかでは、ろくでもない出来事があり『100ワニ』がそれに巻き込まれて葛藤を抱え成長したといえないこともない。……そうかな……?
*7:別にやっても良いけど、たぶんものすごく退屈
*8:出典は無い。
*9:映画は見られた瞬間以外のとき、人々によって語られているときにも存在しているという話
*11:自分この分野は全然詳しくないので皆さん「コミュニティ」「ネットワーク論」などでお調べください。
*13:☆は物語を眺める視点の場所を表す
*14:某友人「こいつら一体なんなん??」
*15:非常に申し訳ないが本編の始まりのシーンの記憶が全く無いのでこれ以上言及できん…。気になる方は劇場行って補完してくれ…。