『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』感想 ※微ネタバレあり
〈公式サイト〉
【はじめに】
世界のキヨシ(黒沢清)が
「映画が嫉妬する唯一のものは音楽。
映画はそれ以外のなにものにも、現実にすらも嫉妬していない。」*1
と言ったそうです。
最強映画を撮る神は発言も最強だな……。
かっこいい…。
さてスタァライトを見てきました。
もうめっちゃおもしろかった~~~
浴びた~~~
ので感想書きました。*2
が思ったより本編の話をしていないので未見でも大丈夫かも。
(以下微ネタバレあり)
〇映画っぽさ
うわぁ映画を見たな、と思うときがある。
映画的な映画。
明らかに今回は映画だった。
ショット、イメージ、まなざしが連続することで意味性を獲得する作品。
例えば
ゴダール『気狂いピエロ』『勝手にしやがれ』など
ヒッチコック『めまい』『鳥』など
黒澤清『旅の終わり世界の始まり』など
他には
古川監督が影響力を自他ともに認める
鈴木清順や幾原邦彦も明らかにその力を持っている。
※余談だけど清順が『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』の監督だったの初めて知った。かつ幻の押井守版ルパン三世のあらすじがおもしろすぎたので載せておく。
元の話題に戻ると、
映画文法を獲得した彼らの作品は
イメージコントロールが抜群に上手いと思う
何を素材として持ってきて、それをどう組み合わせるか
映画を物語る手段として捉えるならば、
言葉で説明できないものを映像(イメージ)で伝えることができるかどうかが鑑賞時の気持ちよさ(快楽)に直結していそう。
……ここまで作品名の列挙&ふわっとしたことしか言えてないからさっさと次へ。
〇「ワイドスクリーンバロック」の音楽
「ワイドスクリーンバロック」*3の定義は上記の作家・草野原々によるブログに詳細あるので省きますが、「アイデアがすごくたくさん出てくるSF」だと思えばよいみたい。
実際に映画内でもトマト、電車、十字架、デコトラ『トラック野郎』シリーズまでたくさんのアイデアがモチーフ(具体)として出てくる。
映画は小説のように観念を伝えることには向いていないから、
それをしたいなら具体(モチーフ)を効果的に使うしかない
画面上に文字をバンと出すやり方もあるけど、映像的ではないから避けられがち。
で思い出したのがQueenのライブ映像
「ボヘミアンラプソディー」もそうだけど、Queen的世界観ってワイドスクリーンバロック的だと思う
あらゆる音楽ジャンルを越境していくスタイル
ライブでもそれを具現化しているので、
レーザー光線使いまくりだわ、フレディ脱ぎまくり、楽器もクラシックピアノにエレキに銅鑼まで
となんでもあり世界観なので見ていて元気になる
ここからはキャラクターのはなし
〇音声(1)名乗る舞台少女たち
とにかく舞台少女たちは名乗りが印象的
それは草野原々ブログにもあるように、ワイドスクリーンバロックに影響を受けた中島かずきが関わる作品の「天元突破グレンラガン」や「キルラキル」にも共通する。
だけど自分はあの名乗りを聞いて寅さんの口上を思い出した。
※書き起こしテキスト出典
フーテンの寅さんによる、自己紹介である。
寅さんはいわゆるやくざ者であるが、それに近い話が公式パンフレット内の、監督、脚本、劇中歌作詞の3人による鼎談インタビュー*4にて展開されていた。以下一部を引用すると、
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古川和宏(監督)
デカい声で強い言葉を発したやつが相手を納得させているので、(筆者注:今作は)ヤンキー漫画と構造が同じ。つまり「キャラクター」、「演者」が中心にいる作品。限られた時間のなかで、感情が圧縮されて異常なスピード感が生まれるというところにも類似性があります。
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中村彼方(劇中歌作詞)
レコーディング時にも「ヤンキーものです」とディレクションしました
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寅さん、そして舞台少女たち
ヤンキー的なおじさん、演じる少女たち
自分の名前(存在)、自分の真の感情を放出するときに彼らの声は明らかに唄っていた
〇音声(2)唄う舞台少女たち
レヴューの間、舞台少女たちはずっと唄っている
学校での日常や回想シーンでは唄っていない
これは映画を見た人ならばその違いを感じられる。
ただこの違い、差って明らかではあるけれど直感的に感じるもので言葉で説明しづらい。そこで下記の本の記述を思い出した。
この本では、寅さんや増村保造監督『曽根崎心中』の梶芽衣子を例に以下の結論を出している。
言葉が繰り返されること・反復によって、形式(あるかたち、ここでは音楽)を獲得する。もとは単なる音の連なりが、形式を獲得することによってリアルな存在になり、リアリティを持って人の心を動かしてしまう。*5
例を出すならば、『曽根崎心中』における梶芽衣子の「うれしい、楽しい、だけど悲しい」という台詞が分かりやすいかもしれない。
〇舞台少女たちの心の変化
ここまで外面的なものを語ってきたけれど、内面的な変化も印象的だった。
映画内の彼女たちの進化過程は、
わたしがしたいことを問う
わたしがしたことをを認める
わたしがしたいことを伝える
これに凝縮されるかと思う。
その中でTVシリーズの脚本、劇場版の劇中歌作詞担当である中村彼方のインタビュー記事(2019年10月公開)を引用したい
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インタビュアー
(筆者注:中村彼方さんは)インプットが多いからこそ、振れ幅があるもの、
自分とは違う角度からの歌詞が書けるのでしょうか。
中村彼方
そう思いたいけれど、結局自分の芯は変えようと思っても変えられないし、
むしろブラさずにやってるつもりです。
「全ての人に才能はある」「夢は絶対に叶う」っていう信念が私の中にあって、
私が書く歌詞に出てくる登場人物はその思いを持っている人ばかりです。
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この映画に通底する明るさ、熱量はここか…!
さらにパンフレット内の「鼎談インタビュー」でも
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樋口達人(脚本):
(前略)「レヴュースタァライト」って実は物語がないんですよ。
物語自体ではなくて、キャラクターの感情で前進していく話なんですね。
その起爆点としてレヴューがあって、(後略)
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感情…!!!
なるほど……
〇その他
服装がかわいい。好き。
自分は無印系の服があまり好きでなく
派手目な衣装が好きなのでとても嬉しい。
あれだけ細かい装飾のある服をグリングリン動かしているのに
作画が崩れていないというのは素晴らしい
〇おわりに
途中から疲れてモノが考えられなくなった上に、引用とかも厳密では無いので
その点心残りだけども、完璧目指してたら終わらないのでこんなもんにします。
ただ「舞台少女たちにとって母とは?父とは?」っていう疑問があって、これは重要だと考えているのでいつか続きを書きます。
まずはTVシリーズ見るかぁ。
少女☆歌劇 レヴュースタァライト 第一話「舞台少女」